介護逃れは犯罪です

日々の子育てと介護、過去の記録をとりとめなく書いてます。

私が介護した人

 

宮城県出身

昭和12年生まれ、10人兄弟の2番目。

 

お転婆で、親に叱られ家から放り出されても牛小屋で牛を枕に寝る程、たくましい娘。

反面、小学校の先生と日記を交わす繊細なところもあったそうだ。

 

当時の中学卒業後、地元の病院で看護婦見習いとして働いた。

 

やがて上京し、渋谷、代官山で青春時代を過ごしたそうだ。

 

その後、父と出会い、二人の子供を授かり子想いの優しい母になる。

しかし父の借金と酒癖の悪さで苦労が多い子育てだった。

それでも家庭を大切にしていたが、父と上手くいかず、ある日夜逃げ同然で家を出る。

 

DVという言葉もない時代、父からの逃亡生活は保険証も手に入らず病院にもかかれなかった。

 

身元を問わないマネキンさんという職に就き、デパートの催事場でリンゴジュースを売り歩いた。

 

大雨の日も、大雪の日も遠い所は毎日片道3時間以上かけて通勤、仕事も通いも休むことなく立ち続けていた。

それでも生来の明るい性格で乗り越え、人にも好かれ助けられた。

 

動物と花が好きな母だが、貧しさと苦労ばかりで趣味がなく、上京組の3姉妹で旅行に行くことが数少ない楽しみだった。

 

 人よりも動物を好むので、動物もそれを感じ母にはすぐ懐いた。

 父の他界後も一人で暮らし、日当たりの良い団地に恵まれ、愛犬とマイペースな生活を送る、苦労が報われた時だったと思う。

 

晩年は認知症と癌を煩い、令和3年8月15日の未明、施設で息を引き取る。

 

享年84歳26日、大雨の夜だった。

 

叶わなかった夢は自動車の運転免許を取ること。