介護逃れは犯罪です

日々の子育てと介護、過去の記録をとりとめなく書いてます。

母の最後の普通の暮らし

これは全然関係ないところ、
誰もしらないところでずっとつけてた日記。



母の手術、入院、老人ホーム入居へ向けての手続きを行っている。

今日は朝イチで住民票移動…世帯分離をかけないと収入が私と合算されてしまい母の保険の自己負担割合が高くなるので注意した。また国保と年金は住所変更と紐づけられてるので住所変更の必要ナシ。

それから母を連れ出し散髪、そのままモーニングを食べて、大好きなペットショップ見物、何もかんも最後になってしまいやりきれない、何故ならばコロナウイルスにより面会も外出も原則できなくなるから。

一旦母を家に返して私の印鑑証明取得。

あとはずっとお世話になっていた、かかりつけ医に血液検査の結果を聞きに行き、最後の面談、特別に母を連れてこなくてもよくしてくれた、特に老人ホームへ引き継ぐほどの事はなかった。但しalpという数値が高く、癌が骨へ転移してる事の裏付けになった。


その後、癌手術の説明を受けるために市民病院へ、この事はガッカリすることばかりで思い出したくもない。

明日、銀行の住所変更と自立支援手帳の住所変更。

何かにつけて、認知症であることがネックになる。

何も悪いことをしてないのにどうしてこんなに精神を擦り減らさなくてはならないのだろうか。

本当は皮膚科と眼科に連れていきたいが、母の体調管理も慎重にしなくてはならない、これくらいの疾患はホームでも引き継ぎなしでできるだろう。

母の入院は病院の伝達違いで1日早まり9月2日…団地の暮らしも残り7日間、残された平日は5日間、たまたま会えたご近所さんに報告したら寂しくなると涙を流してくれた、私もつられて涙(汗)


子供たちは今日から給食、いきなりの6時間授業で大変なのに、私は夕食後にいつもなら子供と遊ぶのに構う事もせず眉間にシワをよせたままだった。
そうそう、今日は末っ子の迎えに行くとき新しい虫かごを持っていき帰りに虫採りをした、ところが末っ子は転び膝をとても擦りむいて、新しい虫かごも、バラバラ…歯を食いしばって堪えてた末っ子も泣き出した、神様なんてものがいるなら随分いじわるだな。

母へのおセンチはもういい、早く子らを安心させたい。

できる事を淡々とこなして、私も体調崩さないようにしなくてはならない。

理解されないことは苦しい。

母の葬儀

 

母の葬儀式。

前夜、母の生涯と介護の記録をまとめ、11冊のファイルに閉じた。

 

次は喪主の挨拶、感謝を伝えたいのに怒りが邪魔をする、何度も書き直しているうちに朝の四時…眠くなり仮眠をとった。

 

ところが体を揺すられ目が覚めると八時前、斎場入りまで身支度を整えるくらいしか時間が残ってない。

 

書きかけのメモを印刷し斎場へ向かう、やり残したが気になり、斎場では進行の打ち合わせも住職への挨拶も上の空…

 

なんとか用意したファイルだけは参列者へ配布し、葬儀式(…と呼ぶらしい)が始まる。

綺麗に飾られた花祭壇と菩提寺の住職、父の時はひとつも出来なかった事が叶った。

お別れに花を入れ、母は埋まるほどの花に囲まれた。

子らが折り鶴の手紙と、好きだったお菓子を入れた、棺を閉じる時が来た。

最後に手向けの言葉を求められ「あっちでお父さんと仲良くするんだよ!」と声をかけた、死を悼む時は過ぎ、母も私たちも次へ進む。父と母も今度こそ仲良く幸せになってほしいと願った。

 

そして喪主の挨拶を済ませた後、書きかけのメモを頼りに16名へ私と母から、言葉を贈った。

 

従妹姪へ

ふたりを見ると母と叔母が作った夕飯を大勢で食べた頃を思い出します。とても楽しかった母も楽しそうだった。どうか母の事を忘れないでください。

 

末っ子へ

ばーばと二人で三徳(近所のスーパー)に買い物に行くとなかなか、帰ってこなかったね。ばーばも一緒に買い物するのが楽しかったんだと思う。ばーば優しかったろ、だけどばーばも子供の頃は、おまえさんみたくとても元気だったんだって。だから大きくなったら、きっとばーばみたく優しくなるね。

 

長男へ

そろばんから帰ってこないと思ったら、ばーばの家に寄ってたんだな、寂しくならないようにしてくれたんだな。誰も教えてないのに優しくなったな。
最近ぜんぜん遊んでなかった、ごめんな、また遊ぼうな。

 

長女へ

2年生の頃からずっと頑張ってくれた。ばーばとポン太、弟二人のお世話。家の手伝い、お母さんとお父さんの事を助けてくれてありがとう、この生活で一番苦労をかけたのおまえさんだ、ごめんな、ありがとう。

 

姪達

二人が遊びに来るときは、母はいつも張り切っていた。初めての孫、母が一番輝いてた頃だと思う「おかしゃん、こんどは本当の動物園にいこうね」と3歳の甥が言った事、いつまでも楽しそうに話していた。どうか忘れないでください。

 

母の親友

人に好かれる母だったけど、心を開いたのはあなただけでした、最後に母に親友ができてよかったと思ってます。母もずっと忘れないと思う、母のお世話もありがとうございました感謝してます。

 

従姉と叔母

叔母の運転する車に乗り、三姉妹で行き当たりばったりの旅、思い出話がとまらなかった。三人がお金を忘れ宿代を払えなかった話を楽しそうに話してた。

従姉から昔の母の話を聞くと、優しかった母と子供の頃の温かい気持ちがよみがえります。

 

叔母

どんなに母から憎まれ口叩かれても、いつも心配してくれた、健康を気遣ったご飯を作ってくれてありがとう、母を怒らせたのも笑顔にしたのもあなたが一番でした。母も感謝してると思います。助けてくれてありがとうございました。とても感謝しています。

 

私が至らぬところ助けてくださりありがとうございます。パジャマや毛布母も喜んでましたありがとうございます。

 「前日、罵られた仕返しを言いたい気持ちを抑えるのが精いっぱいだった」

 

義兄

あなたのおかげで、私たち家族は父の呪縛から解放されました、感謝してます。

 「許せるない相手だけど、当時は頼りになる兄だった」

 

妻両親

父と母がいなくなった今、私の親は二人だけです。どうかお身体を大切にこれからも元気でいてください。

 

毎日仕事で疲れているのに、母だけでなく、私の心もケアしてくれた。
介護保険の認定、介護サービスの利用、悩みの相談、母の話し相手、ぽんたの世話、通院、母も本当に妻が大好きでいつも会いに来てくれることを楽しみにしていた。本当にありがとう。

 

おわりに

残った私達は、子供に兄弟仲良くすることを教え、一刻も早く万が一時の事を伝えておかねばならないと思います、子供達の為に同じことを繰り返さないよう、どうかお願いします。と、伝えた。

 

そして火葬、精進落とし、会食はせず仕出し弁当、食べるか持ち帰るかは自由、収骨…コロナ渦でこれだけ集まってもらえたことに感謝。

 

介護の揉め事さえなければ、素晴らしい葬儀式だったと思う。

同時にこれが無かったら、ここまで親の死と向かい合わなかったと思う。

 

住職は家族だからこそ悲しみ泣いてくださいと教えてくださった。

だけど私は、感謝と怒りと悲しさが入り交ざり、涙が堰き止められたままだ。

 

 

2016/10/19 子育て真っ最中 介護を受け入れたくない

■2016/10/19 12:47
昨日…
学童へ長女を迎えに行った。
今日は暑かったと涼しい帰り道も夏の装い。
(カーディガンを学校に忘れたのが本当の理由)
虫の声を気にしているので、アオマツムシだと教えた。


保育園で長男と次男をお迎え。
まずは歓喜のご対面、興奮がさめるまで時間を要する、各々のカバンや靴を持ち出し
園の外に出るまでいつも10分以上かかる。

車の窓を全開にして、手を出したり風にあたる次男、チャイルドシートがあるとはいえ、
後部座席からいつの間にかいなくなっていたらシャレにならない。
そしていつもバワーウインドウの開け閉め合戦になる。

「これからゾンビごっこをします、あけたらゾンビが入ってきます」
そんなこと言っても怖がるのは長女だけ。
でもそれで充分、長女が怖がれば意味もわからず次男も怖がるから。

夕飯は週末に食べそびれた豚肉で鉄板焼、ダマネギとソーセージ、ジャガイモだけ、
それでもいつもなら、夕飯前に疲れて寝てしまう長男が目覚めてくれるほど大好物。
まさにテッパンメニュー。

デザートはアイス、オレンジが2つにモモがひとつ、ひとつしかないものに人気が集まる。
じゃんけんでも納得してくれない。
結局長女に渡し「二人に分けながら食べなさい」と頼む。
そしてみんな分け合いながら仲良く食べれた、長女の名采配。
「でも、こんなにオレンジぜりーを選んだの誰?」
バツ悪そうに長女が手を上げた(-_-;)


夕飯前に母の所に寄った、いつも通りのトーン。
「心配ない」と都合よく安心したいという気持ちになる。

だけど、かかりつけの先生がすぐに紹介状を書くというのが現実
今の自分は、前向きになったり後悔したり、まるで頼りない。

いまおたおたしてる理由は母のボケ。
夏に遊んでるヒマあったら、河原でバーベキューなんかするなら、
もっと母と関われる時間があったのにと、自分を責めている。

だけど共働き、子どもが親と過ごす時間だって貴重だ。

ひとつ心配事が増えて、自分の時計がいつもより早く進むようになった。


■2016/10/22 3:00
明日は次男と皮膚科、三歳児の肌は乾燥に弱い。

長男は遠足の前日に熱を出し保育園を休んだが、無事に年長最後の遠足へ行くことができた。

思えば三年前、長女はソファーから落ちて鎖骨を折りこの遠足に行けなかった。
そんな長女も二年生後半、三年生の風格が出てきた。

子供達の成長は早い、心と体の成長が止まった大人の感覚で共に過ごしていると、
「あっという間だった」と多分後悔する。

カルガモ親子のように三人の子供をピヨピヨ連れて歩いたことなど、あっというまの出来事、
三年生になれば長女も自分から離れる日が増える。

「一人で三人見るのは大変だよ」とタメ息をつきながら人に話すが、
心のどこかで楽しく、誇らしく、自慢気だった気がする(笑)

母の変化に気づいた今週は、動揺し慌てて、とばしすぎ疲れた(-_-;)

今日は退社後、夕飯を作り、それを全てカゴに入れて、車に積み、子供達を迎えに行った。
その足で母宅に寄り、母と子供、みんなで夕飯。

年寄り相手に揚物やハンバーグと言うわけにもいかないと和食を用意したが、
母宅にはハンバーグが用意されていた(笑)

来週は紹介状を貰い病院へ行ける。
急を要する事ではないが、モヤモヤと誤魔化したような気持ちでいるより、先の事を考えられるようになる。
紹介先は神経内科、母には検診という名目で受けてもらうが納得してくれるだろうか(-_-;)
妻にも話したが過剰な反応も干渉なく、早めに仕事から戻れる日もあり子供達を見てくれたのでとても助かった。

そんな妻は本日夜勤、週末に重なったおかげで、翌日は休みで安心できる。
折角、時間にゆとりができたので、衣替えや、母の書類整理をしていたが、気もそぞろで捗らず(^_^;)

真剣に悩んでるが「認知」と口に出せば言霊が宿り、現実味が濃くなりそう話すことが怖い。
だけど押し殺せば、心の中で心配が膨らむ(-_-;)


明日は次男と皮膚科デート、つまらない事を書いてないで早く寝よう。


■2016/10/23 3:30
アサイチで次男と駅前の皮膚科へ…
少し出遅れただけで二時間待ち(-_-;)

予約が出来ない病院は根気がいる、次男が皮膚科の絵本と、会話で乗り越え、
なんとか薬を手に入れた(^_^;)

帰りに普段行かないスーパーに寄る、
いつものスーパーだけでは魚が不足がちなので、少しまとめ買いをした。


昼は外食でうどん…と思ったが、その分少し高い麺つゆを買い、家でうどんを食べる。
値段はいつもの麺つゆの三倍(^_^;)

美味しいが、口コミに期待しすぎてしまい、それほど感動しなかった(笑)

母を夕飯に誘ったが風邪気味との事、食後にこちらから訪問すると大好きなスケートを見ていた。
浅田真央の番まで一緒に見て帰宅。

母への贖罪、心配な、償い、何を償なって何から開放されたい?

2016/10/14 介護の前触れ

■2016/10/14 1:08
退社して、子ども達を学童や保育園へお迎えに行き、帰宅から夕飯や風呂など済ませて寝付かせる。
それが平日のこと。

寝付かせて、片づけ明日の支度が済めば自分の時間。

長女と長男は9時半頃には寝てくれるが、次男は手強い!

こちらが本気で寝ないと寝てくれない。

次男が私よりも先に寝てくれる事もあるが何故か次男につられて眠くなる。
そしてなんとか起きるが23時過ぎ(-_-;
妻が夜勤や遅番の日はこんな調子だ。

最近、母の具合が悪い、親戚から電話がある度にドキっとする。

夏が終わり気が抜けて疲れが出た頃に色々おきる。
せめて自分の体調だけでも現状維持に努めてこの先に備えなきゃ。

3連休は天気に恵まれず、なんとか最終日に河原で簡素なバーベキューをした。
長男がトイレがない河原で大きい用を足したりしたが先週に比べたら平和な週末だった。

先週の次男の大怪我はすっかりよくなった、驚くほどの回復力、ホント成長の為に細胞分裂が活発なのだと思った。
もっと記録したい、けれど仕事もあるし平日は思うにままならない。

 

■2016/10/16 2:43

母の具合がよくない、変だ。


一番下は三歳、長男は年長さん来年は小学生だ。
長女は二年生なのにしっかりしてきたが、弟二人の為に我慢させてしまう事が増えた。

これからどうなるかと思い眠れない。
明日になれば、良い考えが浮かぶかもしれない、もう一度寝てみる。

気持ちの整理をしなければ、今は受け入れられない。


■2016/10/17 23:47
主語が抜ける、肝心な事が言えない、
いや、言わなくてはならない。

母のボケが進んだ、認知症という言葉が目前にある。


今日も会って一緒に書類の整理をする。
言葉のトーンはいつも通りだから気のせいだと安心したくなる。

だけど、少し過ごせば、同じ事を繰り返す、話す。
現実をつきつけられる。

今までも年相応にボケてるなと思ってたけど何か違う、
堰き止められていた物が一気に流れ出てしまったような…
出来たこと、自分がしたことを忘れている。

だけど母は嬉しそうに話す。
狐につままれたような気分。

もしかしたらからかわれてるのかも、最近顔をあまりださなくて遠回しに灸をすえられているのかも
母んちから戻った今もどう受け入れていいかわからず行ったり来たりする思考。

珍しい事じゃないかもしれない、自分が大袈裟なのかもしれない、だけどとても緊張している。


そこへ次男が寝室から出てきた、トイレに成功した!うれしい!
そしたら少しだけ安心した。

トレードオフなんて場違いな横文字しか浮かばないけど、世界で何かが成長した分、何かが衰えるのかな。

私は気づいてたのに、気づかないふりをしていたかな、父のときもそうしていたかな…

 

私が介護した人

 

宮城県出身

昭和12年生まれ、10人兄弟の2番目。

 

お転婆で、親に叱られ家から放り出されても牛小屋で牛を枕に寝る程、たくましい娘。

反面、小学校の先生と日記を交わす繊細なところもあったそうだ。

 

当時の中学卒業後、地元の病院で看護婦見習いとして働いた。

 

やがて上京し、渋谷、代官山で青春時代を過ごしたそうだ。

 

その後、父と出会い、二人の子供を授かり子想いの優しい母になる。

しかし父の借金と酒癖の悪さで苦労が多い子育てだった。

それでも家庭を大切にしていたが、父と上手くいかず、ある日夜逃げ同然で家を出る。

 

DVという言葉もない時代、父からの逃亡生活は保険証も手に入らず病院にもかかれなかった。

 

身元を問わないマネキンさんという職に就き、デパートの催事場でリンゴジュースを売り歩いた。

 

大雨の日も、大雪の日も遠い所は毎日片道3時間以上かけて通勤、仕事も通いも休むことなく立ち続けていた。

それでも生来の明るい性格で乗り越え、人にも好かれ助けられた。

 

動物と花が好きな母だが、貧しさと苦労ばかりで趣味がなく、上京組の3姉妹で旅行に行くことが数少ない楽しみだった。

 

 人よりも動物を好むので、動物もそれを感じ母にはすぐ懐いた。

 父の他界後も一人で暮らし、日当たりの良い団地に恵まれ、愛犬とマイペースな生活を送る、苦労が報われた時だったと思う。

 

晩年は認知症と癌を煩い、令和3年8月15日の未明、施設で息を引き取る。

 

享年84歳26日、大雨の夜だった。

 

叶わなかった夢は自動車の運転免許を取ること。 

 

姉へ

母の先が長くないので施設が特別面会を許可してくれた。

わだかまりだらけの姉だが、最後に一度会わせるべきだ。

良かれと思い、面会を打診したが都合が合わずそこから、姉は電話も出ないなしのつぶて(=_=;)

これ以上姉に関わり心をすり減らすならこれを最後に連絡を絶とう、葬式も呼ばない、そんな覚悟で最後のショートメールを送った。


「母が先日から寝たきりになり面会部屋に移動できないので、面会は利用者用フロアです。
その為に施設の設けたコロナ検査を受けてもらいます。

施設は予め検査薬、白衣など準備が必要です。また緊急事態宣言で入館禁止の中、異例なこともあり、予約なしでは面会できません。

尚、金曜日は17時までしか面会できませんでした。

取り急ぎ施設に土曜日の面会を調整してもらいますが、その前に私の代わりに母の友人を一緒に連れて行くことを了承してもらえませんか。

これらの相談もあり、取り急ぎ電話をしました。折り返し電話お願いします。

電話に気付かないと思ってメールしてます。

もしも何か考えがあって返事がないならば、お互いの為、もう私は連絡しません。

18時頃まで待ちます事情あるならばワン切りでもかまいません」


ようやく姉から連絡が来た、我ながらお人好しだ。

兄弟へ

「お母さんに、自由に会えるようにお願いします。健一さんの許可なくあわせられないといわれてます」



兄弟へ

なぜ母に会えないのか考えなさい。

あなたは12月13日の面会で、お礼もお詫びも一言いってない。もう何年も聞いてない、あなた達はそれほど正しいのですか?
8月29日にあなた達と話をした事を聞き返すと自分の人のよさに腹が立ちます。あなた達は私が母を介護していることを都合よく解釈し、自分たちを正当化してませんか?
私達は働きながら、子育てをしながら、まだ小さな子供達と過ごすを時間を犠牲にし、毎日のように献身的に母の介護に時間も身も心も費やした。介護で私が家を空けてたばかりに子供は大怪我をした、寂しい思いもさせた。それを何も思わない人はいますか?私は奴隷ではありません、怒りを感じる事も許されないのですか?


もしも母に本気で会いたいならば次の事をよく読み、肝に銘じなさい。

1.老人ホームに二度と電話をしないこと。このまま老人ホームに迷惑をかけ続ければ退去しなくてはならなくなる、母はここで幸せにすごしている、退去になれば次は地方の病棟や老健しかない。
2.今後、メールによる連絡は受け付けない、話があるなら私へ直接電話すること、周囲に迷惑をかけない事、それ以外は受けつけない。

もうお金の話などではない、もしもあなたがこれを守れないなら、全て自分が正しい思うなら、私に対する意地だけなら、迷いなく母を私達だけで見送る。

子供だから親に会って当然と法を盾にして、義務も果たさず会う権利を主張しているが、なぜ会えないのかもう一度よく考えなさい。
いつものように旦那を頼っても構わないが、これ以上話をこじらせてる時間は本当にない。
私は4年間の介護生活でもっとも犠牲になった子供達の為に、介護の記録と証拠になる物を全て執念で残している。
毎日行うのが介護であり、たまにするのは親孝行、全く違う。


こんなメールでも私からの最後の譲歩。
母は今救いを求めている、母の幸せは家族がそろうこと。
あなたは100%正しいの?私は自業自得なのですか?

なぜ会えないかもう一度よく考えてください。