この日のことは忘れない。
母の異変に気付いて一か月、カラオケに連れて行った。
久しぶりのカラオケにご機嫌な母のリクエストは
「岸壁の母」
正しく歌えてホッとしたのも、つかの間、
母は「岸壁の母があるのね」と嬉しそうにリクエストした
そのあとの都はるみも同じように何度も歌った。
同席していた叔母も私も動揺を隠せなかった。
この頃、私の3番目の末っ子はオムツもとれてなかった
妻は夜勤など不規則な仕事、その中で綱渡りのように
共働きと3人の子育てを両立していた。
この頃は介護サービスはおろか、そのための病院すら
どこに行けばよいかわからず、こんな事になってしまった
事への後悔と将来の不安で目の前が暗くなるようだった。